身体操作と意識操作

心勢会の技には「身体操作」と「意識操作」の2種類があります。技を受ける側は、どちらでかけられても柔らかくかかりますので、その違いはあまりわかりません。しかし、技をかけるほうは明確に区別してかけます。

身体操作による技は、正しい姿勢と居つかない足さばきによって、腰から首筋の緊張の解放、肘の抜き、膝の抜きがカギになります。徹底的に身体にこだわってかけます。

 

一方、意識操作はそのような身体操作とは異なり、脳の解放になります。この場合の脳の解放は、身体から空間への意識の転換と言えます。別の言い方をすれば、それは踏ん張らない意識のありよう、さらに別の言葉で言えば、それは「我」(が)を消す意識のありよう、またさらに別の言葉で言えば、空間をつかむ意識のありようになります。

 

他にも同じような意味合いとして、周辺、前後左右に同時に「気」を配る意識のありよう、あるいは半覚醒、セミトランス状態という意識のありようとも言うことができます。いずれにしても脳が自分にこだわり続けている限り、自分を見つめている限り、自分を内観している限り、自分の身体にこだわっている限り、そのような意識のあり様へとは向かわないでしょう。

 

武術稽古の難しさは「身体操作」と「意識操作」というこの二律背反にあるのかもしれません。