子どもの心の育成と稽古の意味

 

私が子供に空手を教え始めた目的の一つはもちろん琉球武術手の伝承ですが、もう一つ別の目的がありました。それはミラーニューロンの育成です。脳の中には周囲で起こる出来事を映し出す特殊な細胞があり、その細胞を「ミラー(映し出す)という言葉からミラーニューロンと名付けられています。このミラーニューロンは他者の行動を推測したり、意図をくみ取ったりさらには相手への共感や学習にも関与していると言われています。

 

 

相手の痛みを感じることができるかどうかは単なる経験からではなく、このミラーニューロンが発達しているかどうかにかかっています。

 

 

 

言い換えれば、ミラーニューロンが発達していなければ、仮に誰かにたたかれて痛みを感じたとしても、その痛みが他者への共感にはつながらない。ミラーニューロンが発達していなければ、自分が他人をたたいとき、その人が自分と同じ痛みを感じる、という認識には至らないというものです。

 

 

 

 

人を殴ったり、殺したりする子供の中には自分がやったことに対してどんなに反省を促しても自分の行為を振り返って「申し訳ない」という気持ちがわいてこないと言います。実際、少年院の中に入っている子供にはそのような傾向があるそうです。

 

 

 

そのような子供たちをみれば、心が育っていない、人の痛みがわからないという判断のみに陥りがちですが、実は、心だけの問題で片付く話ではありません。そのような子供に向かって何を言い聞かせても、何度話をしても、彼らが自分の行動を振り返って、自分の行為を反省することが難しいのは、問題そのものが心だけではなく身体にあるからです。

 

 

他者を傷つける子供には、心だけでなく、身体にもそのような特徴が表れていると言います。つまり他者と調和的に動けない、他者とリズムがあわせられない、前に行進させると前の人にぶつかる、前にならへをしても手が前の人にぶつかったり、距離が遠すぎたりする、彼らはそのような動きをしてしまう傾向にある・・・。

 

 

 

つまり、彼らは心だけでなく身体の動きが他者と調和できない・・・。

 

 

少年院には、心だけでなく、身体の動きがそのように調和的になっていない子供が少なからずいるそうです。先ほど述べましたように、人と歩調を合わせられない、すぐにぶつかってしまう・・・・。そして彼らは人の痛みに共感できず、自分の犯した罪への理解がない。

 

 

 

しかし、そのような子供たちでも、身体の動きが調和したものになりはじめると心に変化が起き、そして心から自分がやった行為を振り返り、「申し訳ない」という気持ちが芽生えてくるのだそうです。

 

 

宇治少年院の少年たちの更生への道のりを描いた「心からのごめんなさいへ」という本がありますが、身体の調和と心の調和を結びつけるミラーニューロンについて考える上でとても参考になる本です。おすすめです。

 

 

話は長くなりましたが、空手の稽古は子供たちはまず、先生の型をマネすることから始まります。そして周りの子供たちと動きを合わせます。そして型ができれば組み手を行いますが、このとき相手の動きと自分の動きがぴたりと調和していなければ技はかかりません。

 

 

琉球武術に限らず、合気道などの武道も同じように調和の精神を説きますが、精神の前に、身体そのものが調和的な動きができていなければなりません。

 

 

子どもたちは今、身体よりも頭脳優先の社会に生きています。頭でどんなに調和について考えても、コミュニケーション能力が高くても相手への共感へとはつながらないように思います。

 

 

子どもたちが琉球武術を学ぶ意義は、心身の育成ですが、心が先にあるのではありません。身体が先にあります。身体の調和的な動きがやがて心の調和、他者への共感を生み出すものです。このような想いで子どたちへの稽古を行っております。